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  『 <聞こえる音楽> と <聴く音楽> 』

岩槻市の小学校で公演を行なった際、担当の先生が開演前子供たちに
「先生は音楽というのは2種類あると思っています。<聞こえる音楽>と<聴く音楽>です。テレビや色々なところから音楽は聞こえてきますが、今日は<聞こえる音楽>ではなくて自分から<聴く音楽>を学んで欲しいと思います」とおっしゃっていました。
そのようなことを考えたこともなかったのですが、言われてみればまさにその通りです。先生の一言に改めて教えられました。
考えてみれば子供たちにとって<聴く音楽>は<聞きたい音楽>という訳ではないでしょう。
私も子供の頃学校で行なわれた鑑賞会(あの時は演劇)をあまりまじめに見ていなかったのですが、今は逆の立場で舞台に立つと、今日<聴いた音楽>を大きくなっていつかふとした機会に「そういえばそんなの聴いたなぁ」と思い出してくれたらいいなぁと思うのです。それが何かの「きっかけ」になるかもしれませんからね。
その為にも私達は<聴く音楽>を真摯に提供しなくてはならないと肝に銘ずるのでした。
                                                   (2004.11.18)






  『顔 パート

このところスカパーで韓国ドラマを録画してせっせと持ってきてくれるお弟子さんの影響ですっかりハマッてしまいました。
そしていくつか見ていくうちに不思議な感覚を覚えました。日本のドラマと違って当然韓国の俳優さんたちばかりですから主役も端役も初めて見る人たちばかりです。でも何か同じ共感するものがあるんです。アメリカやフランス等の映画では感じたことのない感覚です。

3作品目だったでしょうか。なんでこの人が主役??と思いながらも見続けていくうちに(もちろん役柄ですが)その人がすご〜く良い人で気付いたらすっかりその人の心境で見ている自分がいました。3枚目の役柄なのですがだんだん素敵に見えてきたのです。そう、適切な表現ではないかもしれませんが「○○は3日で慣れる」と言ったところでしょうか。

そこで自分に置き換えて考えてみました。私は自他共に認める○○系。といっても決して卑屈にはなってませんがね。3日で慣れてもらった後は・・・・やはり自分自身を磨いて素性を良くするしかないんですね。しみじみ実感しました。
特に儒教の教えの厳しいお国柄の韓国ドラマを見ていると学ぶところも多いんですよ。もうしばらくこのままハマラセテいただきます!                   (2004.6.27)




  『監督』

近年 自分は表舞台に立たないでコンサートの総指揮をとる という「監督」のような立場にたつことがあります。プログラムの選曲から舞台配置、裏での調絃などの陣頭指揮をとります。そしてそのコンサートが無事成功して最後の幕が下りた時の感激は何て表記したら良いんでしょうねぇ、野球やバレーなどの団体競技で優勝した時の監督ってこんな気持ちかなと想像しています。とにかく感無量で「みんなよくぞやってくれました!」っていう感じなんです。自分が舞台で弾き終えた時とは全く違うのです。喜びは監督の立場の方が大きいかもしれません。選曲や舞台配置では「映画監督」、当日に至るまでのお稽古では「スポーツの監督」のような感覚を味わわせてもらえることに喜びを感じています。もちろんこんな未熟な監督もどきを慕ってついてきてくれる方々がいてくださるからなのですがね。歳を重ねれば重ねるほど「人とのつながり」の大切さ・ありがたさを身にしみて感じます。傍目にはどううつろうと私はこの人たちを大切にしていきたいと思うのです。                        (2004.6.12)



  『料理人の苦悩』

作家や作曲家に対して「産みの苦しみ」という表現はよく聞きますが、演奏者の場合はなんていうんでしょうね。料理に例えるなら作曲家によって作られた曲は「素材」、その素材を生かすのも殺すのも料理人である「演奏者」。
包丁の入れ方や味付け、果ては盛り付けまですべてが出来を左右します。ましてや調理方法がその素材に合っていなければ全然冴えない代物になってしまいます。もちろん調理し慣れた素材ばかりではありません。当然苦手な素材にあたることもあります。勇んで包丁を握ってみたものの全然手ごわくて始末に負えないこともあります。そんな時は素材の声を聞く。そう、私はこの「声」を聞きたい。そして素材の持つ「気」を感じたい。全神経を研ぎ澄まして。。。
しかし時として何も聞こえないことがある。何も感じとれないことがある。そうなるとただただ悶絶するばかり。目はちゃんと見ているか?耳はちゃんと聞いているか??でも大事なのは心を開いているかどうか。そして素材を慈しみ愛しているか。そうすれば素材はちゃんと答えを教えてくれる。
そう、お料理には「食べてくれる人」も必要。しかし料理人に「好み」があるように「食べてくれる人」にも「好み」がある。。。あぁ不器用な料理人の苦悩は永遠に続くのです。   (2004.5.9)




  『ネットサーフィン??』

ノートPCにしてから通信回線をドコモの@Freedにしたので接続時間を気にせずインターネットを楽しんでいます。

先日知り合った人からのメールで「うちのBBSで日本酒に漬けた梅酒が美味しいと話題になった」との言葉をふと思い出して、いそいそとその方のHPへ行ってみたのです。日本酒に漬けた梅酒ってどんなものなんだろうって思ってね。実は私、梅・しそは大っ嫌いなのですが不思議と梅酒のロックは好きなのです。といってもお酒はほとんど飲めません。ビールもワインも梅酒も1杯だけです。
その方のHPは「ぴっくんゴーゴー」と言って焼酎好きの集まるHPでして私のような下戸がお邪魔するようなHPではないのですが、なんとカウント「33333」に当たってしまったのです!!。しかも「キリ番33333賞」として何かいただけるようなのですが、呑めない私が当たってしまい何とも申し訳ない気持ちでいっぱいです。何をいただいたかは後日報告すると致しましょう。
でもいろいろな方のHPを閲覧していますとたくさん発見があって面白いですね。しばらくハマッテいそうです。  (2004.3.9)


  <後記>
千歳市の『森もと』のお菓子詰め合わせ(「ハスカップ」という北海道の勇払原野〜千歳周辺およびシベリアにしか育たない幻の木の実を使ったお菓子)

『ロイズ』生チョコレート(ビター)

宗政酒造の『梅酒』(「伊万里うぐいすが丘梅園」で収穫された高級梅を「のんのこ」で漬け込んだ梅酒)


以上3点いただきました。どれも初体験です。ロイズだけは知っていましたがチョコレートはほとんど食べたことがないので・・・ それにしてもいただき物というのは何とも嬉しいものですね。贈る側としては「これは喜んでもらえるかしら?」なんて思いながら選んでくださっていることでしょうし、その気持ちを思うだけでとても幸せな気分になれますものね。  (2004.3.18)




  『病院は大嫌い!でも・・・』

私、とにかく病院に行くのが嫌いなんです。かなり辛くても「寝てれば直る!」と頑なです。そんな私ですが10年程前に素敵な先生と出会いました。日本で最初の心臓移植手術が行われた際そのチームにいらっしゃった先生で「日本紅斑熱」という病気を発見された医学界ではとても高名な先生です。知人を通して「音楽療法を取り入れてる先生のところでコンサートをやってもらえないか」とのお話が先生との出会いだったと記憶しています。最初の出会いで私は先生と奥様のお人柄に魅せられてしまいました。地域の方の絶大な信頼があり当然スタッフの方も多く、全員が先生のお人柄に惚れ込んでまるで教祖さまのよう。そう、たとえるなら私も信者の一人なのです!それからというもの機会があるたびに先生にご連絡しますと、遠くても二十絃の乗る車でお迎えに来てくださるのです。今回は急なお話だったのですが素晴らしいコンサートをさせていただくことができました。そしていつも「程政」という内暖簾のお寿司屋さんに連れて行ってくださいます。看板もなければ暖簾も出していないお店です。今回びっくりしたのは先生の細菌学に基づいた食品管理により旬の食材がほぼ1年を通して食べられるようになったというのです。熱心に説明してくださいましたがおバカな私の頭では到底ついていけませんでしたが、美味しい物が美味しくいただけるというのは本当に幸せなことです。なにが書きたいんだか支離滅裂になってきましたが私の大好きな「馬原文彦」先生は心まで元気にしてくれる素敵な先生なのです。  (2004.3.1)

  『私は右利きよ!』

大変なことになってしまいました!今年5月の日本音楽集団定期演奏会に三木先生の「東から」という二十絃箏独奏曲を弾くことになってしまったのです。この曲、10年程前に初めて生演奏を聞いた時は「なんて素敵なんでしょう!」と思ったんですがまさか自分が弾くことになるとは・・・。まず調絃からして摩訶不思議な世界をかもし出します。前半はガムラン音楽のような旋律が流れそして後半は「五段の調べ」というこれまた三木先生が「六段の調べ」に敬意を表して一段減らして書かれた独奏曲に繋がります。私はこの「五段の調べ」は何度か演奏したことはあるのですが、今回大問題なのは前半部分なのです。ガムラン風に最初からひたすら32分音符で書かれています。それも繋ぎ目なしで両手で同時に32分音符を弾いたり、片手ずつ流れるように弾いたりなんです。左手で32分音符を連続して弾くことが全然できなくて私の左半身はすでに血豆だらけ・腕の筋はパンパン・首肩背中はごりごりという最悪の事態を招いてます。本当に弾けるようになるのか疑いたくなるような現状なのに、更に追い討ちをかけるように3月の中国・香港公演でもこの「東から」を弾くことになってしまいました。といってもこれは半分やけくそで「どうせ5月に集団でやらなきゃいけないのならその前に本番をふんじゃえ!」とばかりに自己申告したんですけどね。「百聞は一見にしかず」ということわざどおり「百回の練習は一回の本番にしかず」なんて私達は言うんですよ。しかし何百回練習したところで「私は右利きです!」魔の左手32分音符が流れるように弾けるようになりますかどうか、皆様怖いもの見たさに(?)是非5月の定期演奏会で応援してください!!!とにかく頑張りますから!  (2004.1.26)


  『なくして初めてわかる大切なこと』

これって実際に体験してみないとなかなか実感できないことなんですね・・・。今回『なくし』はしませんでしたが年末にいつも元気な父が入院してしまい、某尺八奏者から『ファザコン』呼ばわりされる程の私は内心パニック状態になってしまいました。しかしオロオロしている母を前に『私がしっかりしなきゃ!!』と自分自身に激をとばし、また病院からとりあえず何を食べてもよいとのお許しがあるので毎日毎食父の好きな物をせっせと病院へ運ぶ毎日でした。といっても1月4日には東京へ帰らなければいけないので4日の朝まででしたが。『大丈夫!』と思いながらも『もしかしたら・・・』などと不安は尽きず正直練習できるような精神状態ではなかったですね。当然親は自分より先に逝くものと頭では理解していますが、入院騒ぎでこのパニック状態ですから『いざその時』はどうなりますことやら・・・。今回ほど『孝行したい時に親はなし』という言葉を身にしみたこともないですね。まだ今日現在父は入院中ですが比較的検査の結果も良いらしく近い将来退院できそうだとの連絡もありホッとしているところです。両親には今まで計り知れないほどの愛情をもらってきましたから、これからは今まで以上に大切に大切に接していきたいと思うのです。また気持ちが穏やかでないと『音楽』なんてとてもやれないことを痛感し、親の大切さを改めて実感できた貴重な年末年始でした。  (2004.1.7)

  『職人技』

先日静岡に公演に行った際思いがけずロッキングチェアーを衝動買いしてしまいました。ふっと通りすがっただけのお店でしたが何とも言えない魅力に引かれてしまいついふらふら〜っと立ち寄ってしまったのです。そのお店は校倉造りの家具屋さんでした。定年退職するまで建築木材関係の仕事をしていた父が今『材木』にこだわった家を新築しています。家具一つとっても妥協をゆるさない品選びを見ていますから、そのお店の品が丁寧に作られたものだということは一目見てわかりました。どれもこれも惚れ惚れするような物なのですが、その中でも私は冒頭のロッキングチェアーにぞっこん。見た目はごく普通のロッキングチェアーなのですが、座ってみると全然違います。見事にボディーラインにフィットするカッティングが施され何とも座り心地が良く、これこそ職人技と思いました。『お薦め〜この逸品〜』でも書いてますがやはりきちんとした職人さんの作る物は使ってみると違いがよ〜くわかります。たまたまお店にいた職人さんと意気投合してそのロッキングチェアーに更に明美流わがままを施していただけることになり、まさにオリジナルの1点物になりました。よくよく考えてみれば私も『音を紡ぎ出す』職人。わかっていただける人だけに『思わずにんまりするような』職人技を・・・な〜んて思いながら今日もせっせと精進に励むのです!  (2003.12.5)


  『長松のような子供』

斉藤隆介作『ベロ出しチョンマ』のお話はご存知ですか。このお話の1字1句変えることなく、三木稔先生がバリトンと二十絃箏で作曲された作品『歌楽・ベロ出しチョンマ』を持って日本全国の学校をまわっています。私自身たくさんのバリトン歌手の方とご一緒させていただいているのですが、その中でも『境信博さん』とは100回以上を数えます。『チョンマ』の演奏後、いつも彼が自身の言葉で子供達に語り掛ける素敵なコメントがあります。『私には2人女の子がいます。その子たちには長松のような子供になって欲しいと思っています。長松のような子供・・・なにも自分を犠牲にする子供じゃありません。長松のように人の気持ちをわかってあげられる子供です。楽しそうにしている友達に「楽しそうだね、何があったの?」、哀しそうな友達には「どうしたの?」と一声掛けてあげられるそんな簡単なことです。小さいうちは自然にできても大きくなると「めんどくさい」とか「恥ずかしい」という心が邪魔をしてだんだんできなくなりますが、そういう心を持ちつづけて大人になっていけばきっとすばらしい大人になると思います。皆さんにも素敵な夢があると思います。その夢が必ず叶うように「星に願いを」でお別れしたいと思います』とアンコールの「星に願いを」に続けるのです。素敵だと思いませんか。これは子供達に語り掛けてますが、私は一緒に聞いている先生やご父兄の方こそこの言葉を真摯に受け止めて欲しいと心から願うのです。   (2003.9.6)   



  『ピッキング泥棒』

テレビの防犯特集を見る度に「うちも取替えなきゃアブナイわ・・・」と思いつつもそのままにしていましたら、遂に当事者になってしまいました。もうショックです。昨夜いつも通り帰宅して鍵を開けようとしたら逆に鍵がかかってしまってギョッ!! 恐る恐る部屋に入ってみました。部屋の中は見事なまでに荒らされてなくてキレイに現金と商品券だけ持って行かれてました。すぐに110番です。警察が来てからはまるで刑事ドラマのようでした。肉眼では見えない犯人の足跡が特殊ライトによって見事に浮かびあがり靴型の採取、、犯人が触れたであろう物からは指紋採取。当然私もべたべた触っているのですから「協力者指紋」として両手全部の指と手の平まで刑事さんの成すがままに指紋採取されました。う〜ん、これでもう悪いことはできません!?早速今日「現時点ではこれが一番です」と言われる軍事施設に使われているのと同じタイプの鍵をダブルで付け替えたことは言うまでもありません。盗られた金額と強力な鍵をダブルで取り付けた金額を合わせるとすごーい痛手ですが、身の危険その他の被害もなかったことですし安心をお金で買ったと思うしかありませんね。お宅は大丈夫ですか?   (2003.8.26)



  『足もと』

広辞苑で「足もと」をひくと「立っている足のあたり」から「素性・由緒」まで実に色々な意味があり、多くの慣用句の中に「足もとを見られる」があります。本来の意味とは別にして、日頃電車で移動していますので座っていますと意外と対面側の人の足元を見てしまいます。あと階段を昇っている時やエスカレーターでも目がいきます。以前私は「靴はどうせ汚れるものだから」とあまり気にしていませんでした。今考えると顔から火が出そうなくらい恥ずかしいのですが・・・。靴を磨いて手入れをすることはもちろんですが、女性の目からすると特に女性の足元が気になります。ほとんどの方が両足揃えて座っていませんね。もちろんたまにはいらっしゃいますが「ハの字」に開いていたり自然な形でおろしている方が圧倒的です。そこで是非両足きちんと揃えて座ってみてください。ちょっとした美意識が変わり、今まで見えていなかった物が見えてくるようになるのではないでしょうか。まずは「足もと」から意識改革をしてみてはいかがでしょう。男性も女性も足もとがきちんとしている方はやはりどこか違うようにお見受けします。   (2003.8.22)


  『顔』

年齢を重ねるごとにいろいろな事を若い頃とは全く別の角度から考え感じるようになってきました。子供の頃母からよく聞かされた言葉の一つに「子供の顔は親の責任だけど、大人になってからの顔は本人の責任」というのがありました。子供心にそれなりに理解していたつもりでしたが、実際「自分の責任」となる年齢になるとしみじみ実感してしまいます。「顔」はその人の「人となり」をすべて表しているように思うからです。特に常日頃の心掛けが大切だと感じるようになりました。ちょっとした立居振舞などつい無意識な行動に「素性」が見えてしまいます。無意識だからコワイのですが、やはり無意識に出てしまうものだからこそ「何気ない普段の生活」からキチンとするようにしなくてはと思うようになりました。そうした心掛けの積み重ねが何年か後の自分の顔に確実に反映されるのだと思います。そういった意味でも所作・マナーをしっかり身に付け、小粋で素敵な中年女性になりたいものです。   (2003.8.19)